彼らは歩いていた。
というのも、ヴェネツィアでは人は歩くものだし、人は歩く、さもなければ自分の思考の湿り気の中に溶けてしまうからだ。
路地は狭く、石は温かく、光は帯状に切り分けられていた。人々は群れになって立ち、顔の前に機器をかざし、写真を撮り、動画を撮り、記録していた。ここでは、どうせすべてがすでに「映像」であるこの場所でこそ、自分がここにいるのだということを、それを一枚の画像に押し込めることで証明しなければならないかのようだった。
Hans Castorp は画面を見た。
彼はその中の小さな顔を見た。現実よりもなめらかで、明るく、目が大きく、まるで技術そのものが理髪師と美容師を自らの中に取り込んでしまったかのようだった。
「フィルターだ」と、彼は望んでもいないのに言った。
Gustav von A. は顔を上げなかった。
「仮面だ」と彼は言った。
Hans Castorp は彼を見た。
「それって……ばかげてないか?」と彼は尋ねた。
彼は悪気で言ったのではなかった。
彼は Tonio のように言ったのだ。愛情ゆえの嘲りとして。
Gustav von A. は路地の真ん中でふと立ち止まり、そのせいで二人の女観光客が彼を避けて回り込まねばならなかった。彼はいらだっているようには見えず、ただ上の空だった。
「ばかげている」と彼はゆっくりと言った。「というのは、人がこう言わないために使う言葉だ――『それは痛い』と。」
Hans Castorp は黙った。
それはひとつの「文」だった。
彼はそれを書き留めておくこともできた。
彼はそうしなかった。
彼らは歩き続けた。
ある陳列棚の中に、Hans Castorp は仮面を見た。
ポケットに入れて持ち歩くような小さな衛生用のものではなく、本物の仮面――金色の、白い、黒い、羽根付きの、きらめきのある、長いくちばしのついたもの。歴史を演劇として思い描くときに絵の中で目にする、あのペスト医師を思い出させるようなものだ。くちばし仮面というものは、敬愛する読者の皆さま、じつに不気味な発明である。もともとは防護であるはずが、やがて象徴になってしまったのだから。中に薬草を詰め、香りが障壁になると信じていたが、結局のところそれは、無力さのための衣装にすぎなかった。
Hans Castorp は立ち止まった。
彼は白い仮面を見つめた。なめらかで、表情がなく、二つの目の穴が開いている。それは、その空虚さゆえに美しかった。それはまた、愉快ならざるものでもあった。なぜなら、空虚さにはつねに死の可能性が含まれているからだ。
「ご覧ください」と彼は言った。
Gustav はそちらを見た。
彼は肩をすくめもしなかった。
彼はただこう言った。
「ここでは、すべてのものが、かつて一度は仮面をかぶっている。」
Hans Castorp は自分のことを考えた。
彼は自分の名前のことを考えた。
自分が口にする名前と、自分そのものである名前のことを。
これは奇妙なことだ、敬愛する読者の皆さま。人は他人の仮面を笑うことはできる――そしてそのあいだ、自分の仮面が張りぼてではなく、伝記でできていることを忘れてしまうのだ。
彼らは歩き続けた。
Gustav が探していた看板は、看板としては見つからなかった。それは「推薦」として見つかった。
小さな家の入口に、一枚のカードが下がっていた。印刷され、控えめで、上部にはホテルのロゴがある。「Fripac-Medis Frisur-Rasur-Club – empfohlen von Ihrem Concierge.」
推薦済み。
Hans Castorp は Gustav を見た。
Gustav は見返さなかった。
彼は中へ入っていった。